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8.台湾 新港語とは

1624年オランダ東インド会社が台湾に上陸したのですが、オランダ語と台湾語まったく通じないので言葉の問題はどうしたのかな?と思いますよね。少々調べました。

オランダ東インド会社は、薪・鹿肉・魚を得るために現地の人と友好的な関係を結ぼうとしたが、現地の人は凶暴だった為オランダから牧師を呼んで台湾の先住民に言語を教えるようです。私が思うに異国の人が急にやって来て、言葉がわからないのに、「薪・鹿肉・魚を売ってくれ」と言われても信じられる訳がない不審者には凶暴になるのは当然である。

”彼ら(オランダの宣教師と牧師)は台南の新港に居住する平埔族シラヤの言語(新港語)を学習して、ラテン語で表記し、聖書と宗教的教材を新港語に翻訳した。オランダ人の台湾統治は38年間しか続かなかったが、彼らは先住民族に文字を教え、ラテン文字化された新港語はその後150年間使用され、先住民族に深い影響を与えて。しかし、残念にことに台湾の新港語は死語になってしまった。”

のちに日本人が一部の新港語の解読に成功したようだがこのような文化は残してほしいですね。聖書を現地の言葉で翻訳するって相当努力が必要だったと思います。

       左 新港語 右 漢文

 

 

 

左が新港語という事のようです??要は平埔族シラヤの言葉をラテン語にした感じですね。

     オランダ語(左)と新港語(右)*ローマ字

 

 

 

オランダの宣教師と牧師は半端ない努力で翻訳したと想像できます。

 

thanks 出典

 日台貿易史(その1)オランダ黄金時代 姉崎慶三郎

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