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2.鄭成功と日本

鄭成功(てい せいこう)はご存知でしょうか?前回の投稿で話しましたが、オランダが台湾に攻めて来たときに追い払ったのが鄭成功でした。しかしまー、オランダは遥々台湾まで来るって、どこまで来るんじゃい!って感じです。この鄭成功は、中国と日本のハーフなのです。

”中国人海商で平戸を根拠地として活動した鄭芝龍(ていしりゅう)を父に、平戸川内の田川マツを母に1624年7月14日平戸で生まれました。幼名を福松、中国名を鄭森と言います。 鄭成功は、わずか7歳で単身海を渡り、21歳の時、明の隆武帝より明王朝の国姓「朱」を賜ったことから、人々は彼を「国姓爺」と呼びました。後に清朝との戦いの中、父芝龍が清に投降しますが、鄭成功は「抗清復明」の旗印を揚げ不利な戦いを続ける中で、台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放しました。その後、政府を設置し法律を定め、開拓を行い、民を養い大いに時運の挽回を図りますが、ついに病のために1662年39歳で亡くなりました。”

 

鄭成功は、日本長崎県平戸市生まれなのです。中国は明の時代から清の時代へ移り変わる時ですね。鄭成功はオランダ人を追放したとありますが、これは貿易に来た、かの有名なオランダ東インド会社です。面白いのは鄭成功の出身は長崎県はオランダと貿易があった土地柄です。余談ですがカステラの起源は、スペインの焼き菓子「ビスコチョ」(Bizcocho)とする説や、ポルトガルの焼菓子「パン・デ・ロー」(pão de ló)とする説があるそうです。私の勝手な憶測ですが、鄭成功は長崎県に住んでいてオランダ人が嫌いだったのではないでしょうか?

Thanks 出典

鄭成功記念館(ていせいこうきねんかん)

https://www.hirado-net.com/teiseikou/

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