台湾と日本間の貿易は、1622年オランダが台湾を植民地化する前からありました。当時、中国は明朝の船しか入港を認めませんでした。
中国に船が直接入れないので中国からは生糸や絹織物を運び、日本からは銀を運び中国船と日本船が台湾に行き出会貿易をしていたようです。
オランダ人ではこれを「ランデブー(rendezvous)」と記録しているようです。
ランデブーって聞くと、大人の秘密なデートを連想するのは私だけでしょうかね。
”1624年、オランダ連合東インド会社はバタヴィア(インドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称)
の総督を通じて、台湾長官としてマーチヌス・ソンクを任命する。
ソンクはタイオワンに入港する密貿易に対して10%の輸入税を課した。
目的はオランダ人の経費を補填し、なおかつ日本人たちの取引を抑制する事にあった。2艘の朱印船が入港する。
中国人たちは関税を受け入れている。ところが、この日本人たちは幕府の朱印状を得ている商人であるとしてオランダ人の要求を受け入れない。
また以前からこの土地を所有していると主張して。関税の支払いに応じなかった。
すると、ソンクは、日本人の買い入れな生糸から15ピコル(1ピコルは百斤)を没収したのである。”
タイオワン事件の原因はここにあるようです。
もともと、台湾で取引していたのにオランダが統治しだすと、急に税金をよこせと言い出されてはたまらないですよね。
戦争ってこのような事の積み重なって起こるのでしょうかね。
台湾でお行っていた日本と中国間のランデブーは、”危険なランデブー”へなってしまってのでしょう!
1627年 ピエール・ノイツが台湾長官に任命されると更にオランダ連合東インド会社は要求をエスカレートさせ、タイオワン事件が発生します。
thanks 出典
日台貿易史(その2)タイオワン事件による日蘭貿易断絶顛末記 姉崎慶三郎
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