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9.オランダ東インド会社との通訳は、鄭成功の父

私は「2.鄭成功と日本」で「私の勝手な憶測ですが、鄭成功は長崎県に住んでいてオランダ人が嫌いだったのではないでしょうか?」と書いたのですが、本を読み進めると面白い事がわかりました。

 

”1621年には、台湾や東南アジアと朱印船貿易を行っていた中国系商人の李旦、または、顔思斉(中国語版)の傘下に加わる。日本の肥前国平戸島(現長崎県平戸市平戸島)に住むうち、平戸藩士田川七左衛門の娘であるマツと結婚。後に、息子の鄭成功が生まれている。”

 

”オランダが台南に商館を設置したとき、20歳の通訳がいた。青年の姓は鄭名は芝龍(しりゅう)。字名は飛黄。俗称は一官という。このとき生まれたばかりの子供はやがて国姓爺鄭成功になる。日本の平戸に来住したが、18歳のとき父をなくし、マカオに2,3年滞在し。洗礼を受けニコラスという洗礼名をもっていた。ここで当時の国際語であるポルトガル語を学び、オランダ人の通訳を務めることになった。妻は平戸滞在中に結ばれた田川七左衛門の娘マツである。しかしオランダ商館通訳の鄭芝龍一官は、1625年末に黙ってオランダ商館を立ち去り、海賊になったしまう”

 

想像を張り巡らせると。

 

朱印船に乗っていた鄭成功の父鄭芝龍は、オランダ商館(オランダ東インド会社)で通訳をしている中で、オランダ人が強奪まがいの事と輸出輸入を重ねで儲けている内容に気づき自分でも出来ると思ったのでしょう。海賊として強奪した品を、日本の平戸に持って来て販売していたかもしれませんね。そして、鄭成功はこのやり方を知っていたのかもしれません。のちに、鄭成功に受け継ごうとしたのかもしれませんね。朱印船って学校の勉強で学んだ気がするな。。。全然記憶がない。

 

”朱印船(しゅいんせん)は、16世紀末から17世紀初頭にかけて日本の支配者の朱印状(海外渡航許可証)を得て、海外交易を行った船を言う。朱印状を携帯する日本船は、当時日本と外交関係があったポルトガル、オランダ船や東南アジア諸国の支配者の保護を受けることができた。”

 

朱印状は現在のパスポートでした。

 

”彼は閩南語、南京官話、日本語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語を話し、剣道を得意とし、スパニッシュ・ギターも弾けたという”

 

現在のバイリンガルです。言語堪能で素晴らしいです。個人的はスパニッシュ・ギターが弾けた事まで情報が残っている事が面白いと思いました。

 

thanks 出典

 

日台貿易史(その1)オランダ黄金時代 姉崎慶三郎

 

ウィキペディア(Wikipedia)鄭芝龍

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